浦戸諸島|宮城県塩竈市【公式】

大都会での華やかな生活も良いけど、大自然の中での自由な生活はもっと良い。

名前

大場 智行 さん

年代

50代

家族構成

単身

移住した年

2015年頃

移住前の居住地

宮城県仙台市

移住前の仕事

ITエンジニア

浦戸諸島に移住した”きっかけ”は?

宮城県内に住んでいながら、最初は全く浦戸諸島を知りませんでした。

ある時、マリンゲートに立ち寄った際に観光ガイドのパンフレットを見て、そこで初めて浦戸諸島の存在を知り、一番初めは観光で訪れました。
実際に来てみて、「あぁ〜何か面白そうな島だな、住んでみたいな〜」と思ったのがきっかけです。

そこから海岸清掃などのボランティア活動を重ねていくうちに、だんだんと島の方々と仲良くなっていき、いつの間にか気がついたら住んでいた、そんな状況です(笑)

現在の仕事を教えてください。

現在は、主に牡蠣養殖の漁師をしています。

浦戸に移住する前は、仙台市内の大手企業でITエンジニアとして働いていたため、漁師の経験も知識も全くなく、まさにゼロからのスタートでした…

ちょうど、私の師匠が引退を考えていた時期に私が移住して来たこともあり、一年目は師匠から牡蠣養殖の資材や船の手配も含め、手取り足取り牡蠣養殖について学び、二年目以降は師匠や支援団体にサポートいただきながら現在も漁師として活動しています。

他には、アサリ漁(夏季)や浦戸〜塩竈間を行き来する水上タクシーの運行(通年)などを並行して行い、生計を立てています。

アサリ漁では、鋤簾(じょれん)作業といって、長い柄の先に入り口に爪がついた金属製のカゴを取り付けた漁具を使って、海底のアサリをかき出す力仕事などもあります。

現在、浦戸諸島では、牡蠣もアサリも担い手不足が深刻化しており、桂島で牡蠣養殖を行っているのは、私も含め3軒だけ。アサリ漁も毎年島の有志で行なっていますが、高齢化も進み年々減少の一途をたどっており、今後どうしていくかが大きな課題となっています。

浦戸諸島に移住して”良かった”と思うことはなんですか?

一番は、大自然の中で自由な生活ができること。

大都市に近い大自然はここしかないと思う。仙台から約1時間程度、東京からでも約3時間位で来ることができて、こんなに豊かな大自然が目の前にあって、四季を通しての魅力や美味しい食べ物もたくさんあります。冬は牡蠣に海苔、夏にはアサリも獲れて、色の魅力もいっぱいあります。

それに漁師は完全フレックス制なので、天候に左右はされますが、ある程度自由に時間を使えることは、自分にとっては良かった点です。
仙台で会社員をやっていた頃は、毎日残業に追われて何時に帰れるかわからない生活を送ってましたが、それに比べたら今は自由で楽しいです。

島にはコンビニもスーパーもありませんが、これまで不自由に感じたことは何一つありません。特に食材は隣近所でお裾分け。その土地で収穫されたものをそこで消費する地産地消の仕組みがあって、その土地の自然と人とが持続的に共存していける仕組みが自然と成り立っています。それに、昔に比べたらネットも普及していて、お酒もお菓子も、大きな家具や電化製品さえも今は通販で買えちゃう時代ですしね。

そんな中で、今後は漁師をしながら、もっともっと浦戸諸島の魅力を発信し、都市部と浦戸諸島との交流を増やしていくための架け橋となれるような活動をしていきたいです。

移住を検討されている方へ

今、移住を検討されている方には、ぜひ、この言葉を送りたいです。
「大都会での華やかな生活も良いけど、大自然での中での自由な生活はもっと良い。」

コロナの影響もあり、世の中の価値観がどんどん変わってきていると思います。私も、長年会社員生活を送ってきて、色々な経験や様々な思いをしてきました。

30歳を過ぎた頃から体力維持のためにジョギングを始め、東京で勤務していた頃は皇居の周りを走ったり、仙台に住んでいた頃は市内を走ったりしていました。

当時は、ジョギング中にすれ違う人達との挨拶はしたりしなかったりでしたが、現在も日課としている島ジョギングでは、散歩をしている島の方々とすれ違う際には必ず挨拶を交わします。それだけでも気分は違いますね。

都会の喧騒から離れ、大自然と向き合い、共存共生しながらの生活も良いものですよ!