野々島の昔話

野々島の昔話

かけ田島の話

野々島の東の端に、陰田(掛田)という島があります。
昔がこの島にも数枚の田圃があって、陸続きになっていたのですが、数世紀にわたる侵食のために、離れ島になったといわれています。
島は高さ100メートル余りの直立した姿をしており、別名「おいらん島」とも呼ばれて、名勝のひとつになっています。
一年中、いろいろの鳥が棲息し、繁殖の絶好の場所でもあるので、大そう珍しい鳥も見られます。
ことに、「みさご」「鷹」「むくどり」などの巣が、松の枝々にたくさんあります。

昔、村の若者たちが集って、みんなで賭けをしました。
「この島のてっぺんに、みさごの巣がある大木があっぺ。あの巣の中に、今ひなっこがいるんだどや。そのひなっこを生けどりにした者に、みんなで出し合って、田をけっこどにしたいが、みんなどうだや」
一人の若者がこういうと、みんな「ああ、いがんべ。そいづはおもっしぇ」と賛成しました。
「ところで、誰が取りさ行ぐんだ」
ということになると、なにしろ、島の頂上に生えている大木の枝だし、真下は絶壁で、波が岩にくだけている恐ろしい場所なので、しばらくは、お互いに顔を見合わせているばかりで、進んでやろうとする若者はいませんでした。

そのとき、一人の若者が、
「よし、俺がやっぺ」
といって、頭に鍋をかぶり、腰に太い縄を巻いて、絶壁をよじのぼり始めました。
やっとのことで頂上までたどり着いたのですが、今度は松の大木が待っていました。
若者は、持ってきた太い縄を、大木の枝にかけ、一枝一枝登って行き、とうとう「みさご」の巣に近づくことが出来ました。

さて、巣からひなをとろうとして、手を伸ばしたとたん、どこから飛んで来たのか、ものすごいうなり声をあげて、親鷹数十羽が襲いかかってきました。
若者は、肝がつぶれるほどにたまげて、あまりの恐ろしさに、ひなを捕るどころのさわぎではありません。なんとか一刻も早く木からおりて逃げようと思っても、手も足もしびれてどうしても動きません。全身から油汗をたらしながら、真っ青になった若者は、一心に神様に祈りました。
「南無三宝、諸々の神々さま。どうか無事に降ろさせ給い。無事降りることが出来たらば、一生餅を絶ちますから。どうか助けて下さい」
と「願かけ」をしながら、一寸また一寸と、ようやくのことで地上に降りることが出来ました。

その後、この若者は、「一升餅」は食わなかったが、「二升餅」を食ったということです。
この時の「賭」が田圃であったので、それ以後この島を、「かけ田」と呼ぶようになったということです。

陰田島は、野々島の南側にある島で、話に出てくるとおり、高い断崖絶壁に囲まれた島です。

左の写真は、野々島の千代崎展望台からの陰田島。右は石浜(白石廣造邸跡)からの陰田島です。
南北に長く、平らな部分が無いことが分かります。
ここを上るのは、いくら田圃が貰えても、私は登りたくありません。

ちなみに、野々島海水浴場からも陰田島がみることができます。
もともと地続きで、田圃があったのですから、遠浅で波も静か。とてもきれいな海水浴場です。

木田の大蛸

野々島 毛無囲に、木田という白砂の浜がある。
むかしは、ここは田圃であったそうで、海底にはその跡が残っている。

むかし、ここに大蛸がいて、帆走船や櫓で漕ぐ舟の底に吸いついて、舟足をとめたり、舟中の人を海中に引きづり込んだり、夜になると陸に上がり、畑の芋や、作物を荒らすなど、村人たちをなやませていた。
「困ったことだなや、畑のものは荒らされるし、魚とりにも、めったにでられねぇし、このままでは、村はつぶれてしまうなや。なんとか、あの大蛸をやっつける工夫は、なかんべえかや。」
村人たちは、何回となく寄り合っては、知恵を出し合って、いろいろやってみたが、いつも失敗を重ねるだけであった。

当時は、この島に酒屋の信助という「モグリ」の名人がいた。
村人たちは「信助」といろいろと相談した。
「信助さんや、お前は村一番のモグリの名人だが、あの大蛸をやっつける、ええ工夫があんめぇか。なんとかうめぇ手を考えてけろや。」
信助は、「ほだなや、あの化けもの蛸を退治するには、足を1本1本切り取るしかなかんべなや。」
村人たちは、それは名案だとのことに決まり、この役目を信助が引き受けることになった。

大蛸を見つけることは、難しいことではなかった。
分銅島(石浜の向かいにある島)ほどもある大頭を下にして、岩石を抱いて、8本の足を長々と伸ばし、寝込んでいる様子である。
さっそく海中刀でまず1本を切り取り「鈎おもり」で引き上げてみて、一同腰を抜かさんばかりに驚いた。
1本の足の長さ20丈、吸盤は飯茶碗ほどもあるという。
信助は3日がかりで、7本まで切ることに成功した。
そして、最後の8本目の足を切り取るために、水にもぐったところ、信助はいつまでたっても水面に上がってこない。
村人たちは大騒ぎになり、海中いたるところを探したが、大蛸ともども信助の姿を発見することができなかった。

木田の浜は、野々島の毛無崎地区の南側にある、幅100mまで満たない、満潮時には浜が無くなってしまうような小さな浜(中央の赤の部分)です。
写真では分かりづらいですが、陸側からこの浜に行く道路はなく、船で行く以外にここへ行く方法はありません。
市営汽船からは、石浜と寒風沢の間を航行中、北側に見えます。
すぐ東側に、展望台もある千代崎が南に大きく張り出しており、外洋からの波がさえぎられ、穏やかな浜です。また、この浜は遠浅で、この大蛸が棲んでいたのは、黄色で塗りつぶしたあたり。
蛸にとっても住みやすい環境だったのではないでしょうか。
地元の漁師さんが、この付近で、魚を捕るための籠(魚が入ると出られない仕掛になっている網を張った箱)での漁を行う時と、蛸がよく入っているということです。