西暦 | 年号 | 月日 | 事項 |
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– | 縄文 前期 | – | 塩釜市浦戸船人島貝塚 |
– | 縄文 中期 | – | 塩釜市浦戸桂島台貝塚 |
– | 縄文 後晩期 | – | 浦戸諸島三十数ヶ所貝塚 |
899年 | 貞観 11年 | 5月26日 | 陸奥に大地震あり、このとき松島湾出現せりという |
1219年 | 承久 3年 | 5月 | 承久の変起こる、内海長者野々島に逃避中したりという |
1287年 | 弘安 10年 | 11月20日 | 浦戸朴島に孝子の碑建つ |
1502年 | 文亀 2年 | 8月 | 朴島神明社に棟礼あり |
1559年 | 永禄 2年 | – | 浦戸寒風沢を鹿倉村と称し、大津波あり七十余戸流失す |
1616年 | 元和 2年 | 1月 | 長南和泉守上総より来往す |
1632年 | 寛永 9年 | 7月21日 | 仙台藩の回米はじまる、寒風沢港開港す |
1652年 | 承応 2年 | – | 内海長者養蛎を試み好成績を収む |
1672年 | 寛文 12年 | 10月3日 | 浦戸寒風沢に霊亀山松林寺開山 |
1683年 | 天和 2年 | – | 寒風沢日和山に聖観音をまつる |
1700年 | 天和 13年 | – | 内海庄左衛門吉秀野々島に観音建立 |
1740年 | 元文 5年 | 9月16日 | 漂流者石浜の長三郎蝦夷地より送還させらる |
1770年 | 明和 8年 | 12月5日 | 高城本郷寒風沢に火災あり、百二十二戸焼失す |
1773年 | 安永 3年 | 12月7日 | 永福丸清国に漂流寒風沢、野々島の水主救助さる |
1790年 | 寛政 2年 | – | 鈴木春水次子坂本玄順寒沢寺に寺子屋を開く |
1793年 | 寛政 5年 | 11月27日 | 若丸水漂流魯領に漂着(文化2年/1806年)世界一周して津太夫外帰国す |
1794年 | 寛政 6年 | 8月22日 | 大乗丸安南に漂着、桂島の船頭清蔵外十六人救助される |
1843年 | 天保 14年 | 12月4日 | 観音丸呂宋に漂着石浜の水主長次郎外二年振りに長崎に帰る |
1850年 | 嘉永 3年 | 12月3日 | 上州国定村の忠次郎の相談役儒者長南仙州寒風沢に帰る |
1856年 | 安政 3年 | 2月8日 | 仙台藩の士卒二百二十人余石浜港より蝦夷地警備に赴く |
1857年 | 安政 4年 | 7月13日 | 仙台藩軍艦開成丸この日寒風沢に於て進水す。各藩の大名参列す |
1859年 | 安政 6年 | – | コレラ病し烈を極め石浜に及ぶ |
11月26日 | 仙台藩の士卒三百五十人余石浜港より蝦夷地に赴く |
1864年 | 元治 元年 | 6月20日 | 仙台藩寒風沢日和山南端・船入島・石浜崎に砲台を据え海岸防備に当る |
1868年 | 明治 元年 | 3月23日 | 奥羽鎮撫総督九条道孝率いる薩長筑藩兵寒風沢に上陸す |
8月24日 | 榎本艦隊の長鯨午後三時石浜港に投錨す |
10月9日 | 榎本艦隊石浜港より蝦夷地に向う |
1869年 | 明治 2年 | 3月12日 | 政府海軍甲鉄艦外八隻寒風沢に入港、翌日出港す |
6月17日 | 高城の称を廃して浦戸諸島は宮城郡に単属す |
1870年 | 明治 3年 | 2月27日 | 伊達邦成家臣男女二百二十人石浜港に集結、二十九日北海道に向う |
1871年 | 明治 4年 | 9月10日 | 白石藩移民石浜港より威臨丸に乗船北海道に向う |
1872年 | 明治 5年 | 1月8日 | 仙台県を宮城県と改称す |
1月10日 | 埼玉県の人白石廣造、石浜に回漕店を開く |
1873年 | 明治 6年 | 7月10日 | 第七大区第一中学区第三十七番小学校寒風沢に創立さる |
1875年 | 明治 8年 | 5月 | 仙台警察署出張所石浜に開設す |
1881年 | 明治 14年 | 9月22日 | 各島の木、竹、官民有に限らず伐採を禁ぜらる |
1884年 | 明治 17年 | 7月1日 | 石浜に郵便取扱所開設す |
1886年 | 明治 19年 | 10月19日 | 松島湾五ヶ村漁業組合設立さる |
1887年 | 明治 20年 | – | 寒風沢、石浜小学校塩釜尋常高等小学校の分校となる |
1888年 | 明治 21年 | 6月 | 石浜巡査駐在所設置 |
1889年 | 明治 22年 | 4月1日 | 寒風沢、野々島村、石浜村、桂島村は塩釜村より分離、浦戸村として独立す |
1896年 | 明治 29年 | 3月 | 白石廣造ラッコ猟を始む |
1906年 | 明治 39年 | 6月 | 桂島、寒風沢に鮪旧式旋網漁業を始む |
1911年 | 明治 44年 | – | 松島公園として県費により桂島に観光施設整備行わる |
1919年 | 大正 8年 | 9月1日 | 浦戸艀組合結成され労働運動起る |
1921年 | 大正 10年 | 9月1日 | 野々島、桂島に底曳船漁業開始す |
1923年 | 大正 12年 | 3月7日 | 松島湾一帯史蹟名勝天然記念物保存法による名勝指定せられる |
1944年 | 昭和 19年 | 4月1日 | 個人経営の島内巡航船塩釜しに買収される。塩釜市営汽船発足 |
1950年 | 昭和 25年 | 4月1日 | 浦戸村を塩釜市の区域に編入、塩釜市役所浦戸支所を野々島字河岸に開設 |
1951年 | 昭和 26年 | 4月30日 | 合併後初の市会議員の統一選挙行わる |
1953年 | 昭和 28年 | 3月 | 浦戸中学校を野々島字馬越に新築 |
1961年 | 昭和 36年 | 1月 | 浦戸診療所野々島字馬越に新築移転 |
1964年 | 昭和 39年 | 10月 | 浦戸診療所桂島分院開設 |
12月 | 浦戸第二小学校新校舎落成、桂島字台に移転 |
1965年 | 昭和 40年 | 10月1日 | 浦戸地区に簡易水道を建設 |
1969年 | 昭和 44年 | 9月18日 | 桂島貝塚を塩釜市考古資料に指定 |
1970年 | 昭和 45年 | 4月 | 浦戸第一小学校新校舎落成、寒風沢字中月に移転 |
1971年 | 昭和 46年 | 10月1日 | 簡易水道を上下水道に編入 |
1981年 | 昭和 56年 | 12月7日 | 浦戸診療所、開発総合センター隣接地に移転新築(開設昭五七・四・一) |
1982年 | 昭和 57年 | 7月23日 | 浦戸諸島開発総合センター発足 |