浦戸諸島|宮城県塩竈市【公式】

静かでゆったりと流れる島時間。
人との繋がりを感じ、素の自分でいられる仕事や場所のある暮らし。

名前

加藤 信助 さん

年代

40代

家族構成

単身

移住した年

2017年

移住前の居住地

宮城県塩竈市

移住前の仕事

農業関係(米作り)

浦戸諸島に移住した”きっかけ”は?

私の父の代までは、この島で生活を営んでおりましたが、祖父母が高齢になるにつれ、医療面での不安も大きくなり、一度島から離れて塩竈市内(本土)で生活をしていました。

当時の私は、仙台市内で会社員として働いておりましたが、2011年に東日本大震災を経験し、故郷である塩竈市が津波で大きな被害を受け、町の賑わいやたくさんの人の命が奪われた現実を目の当たりにし、「本当に自分のやりたいことは何か?」を問うようになりました。
ほどなくして、「食」の重要性や自分のルーツに対する考え方に大きな変化が出始め、当時、寒風沢で米作りに取り組もうとしていたNPO法人の求人に惹かれ、寒風沢島へ通うようになり、島と私の接点が復活しました。

間もなくしてNPO法人は解散してしまいましたが、私の島や農業への想いは強まり続け、こうして今も島に残り、代々受け継いできた加藤家の農地を利用し、伝統的な農法で農業を続けています。

震災前の寒風沢

現在の仕事を教えてください。

現在は、主に農業を行っています。
これまでは、玉ねぎや長ねぎの栽培を中心に行っていましたが、新たな野菜づくりにもチャレンジしてみたいので、試行錯誤しながら少しずつ土壌改良を進め、農業に取り組んでいます。

中でも、NPO法人で勤務していた時から携わっている寒風沢島での米づくりには、今後、より力を入れていきたいと思っています。

島には農業用水がなく、雨水や雪解け水などの天水を貴重な水源としているため、水を抜くことが出来ません。
年中ぬかるんだ状態のため、大きな農機具も入れず、植え付けから刈り取り、脱穀までの一連の作業の大半が手作業中心となり、大変さはありますが、結果、「ふゆみず農法」と呼ばれる伝統農法で、ここでしか作れない美味しいお米作りにつながります。

私は、この代々受け継いできた伝統農法を守り続けたいと思っています。

浦戸諸島に移住して”良かった”と思うことはなんですか?

電車もバスも走っていないので、人工的な音がなく、静かで、ゆったりと流れる時間が好きです。

島には、スーパーやコンビニがありませんが、これまで生活してきて、不便さを感じたことはありません。
コンビニで無駄遣いをしなくて良いし、あるものでしか対応できないので、考えて生活する知恵が段々とついてきます。多分、島の皆さんも生活に不便さを感じていないと思います。

それに、島民以外にも観光客の人とすれ違った時に挨拶を交わしたり、話しかけたりと、人との繋がりを感じられる場所であったり、私は「島=日本の縮図」だと思っています。

コロナがあって、人付き合いも減っている今、人との会話や繋がりは、とても重要だと感じています。
島では、今も昔と変わらぬ人付き合いがあり、浦戸諸島が少しずつ知られていくことで新たな訪問客も増え、人との出会いもあるので、以前、会社勤めをしていた時よりも多くの人と出会うことが出来ています。

移住を検討されている方へ

まずは島へ来て、自分の目で見て体感して、感じてもらえればと思っています。

地域によっては、様々なローカルルールというものが存在すると思いますが、少しずつ地域に溶け込んでいけば良いと思いますし、何よりも静かな場所なので、ものづくりや静かな環境で作業をしたい人にはピッタリの環境だと思います。

浦戸諸島は未開拓な島で知名度はまだまだ低いかもしれませんが、活かせる資源は沢山眠っていると思うので、何か新しいことにチャレンジしてみたいと考えている人にもおすすめです。

コロナ禍で社会との距離が少し出来てしまった方でも、静かでゆったりと流れる島時間の中で、自分のペースで、素の自分でいられる場所として、確立してもらえたら嬉しいですね!