浦戸諸島について
浦戸諸島は、松島湾に浮かぶ4島5地区で構成される離島(有人島)です。
松島湾の景観は、“八百八島”と呼ばれるほど小さな島が点在しており、浦戸諸島にも島と認められているものが230島、暗礁に近いものを含めると300近い数の島が存在します。
人口は、174世帯 / 300人程(2022年9月30日時点)で、桂島、野々島、石浜、寒風沢島、朴島の4島5地区で、島ならではの暮らしを営んでいます。
桂島
桂島(面積:0.76㎢ / 周囲:6.8km)は、浦戸諸島の西部にあたり、塩竈本土から最も近く、市営汽船で一番はじめに到着する島です。(塩釜港から約23分)
地形は東西に長く、西側が桂島集落を中心とした桂島地区。東側の石浜集落を中心とした石浜地区になります。
野々島
野々島(面積:0.56㎢ / 周囲:8.9km)は、浦戸諸島のほぼ中央に位置し、塩竈市役所の支所で宿泊研修施設でもある浦戸諸島開発総合センター(ブルーセンター)が置かれ、隣には浦戸診療所もあり、生活面でも中心的な島です。
石浜
石浜は、市営汽船で一番はじめに到着する「桂島」の東側に広がる集落で、市営汽船では3番目(桂島の次の次)に到着する発着所です。
地形は東西に長く、東側が石浜集落を中心とした石浜地区。西側が桂島集落を中心とした桂島地区になります。
寒風沢島
寒風沢島(面積:1.45㎢ / 周囲:13.5km)は、浦戸諸島で一番大きな島です。
江戸時代には伊達藩の江戸廻米の港として、多くの人や船、物が行き交う島として繁栄を極め、今でも日和山の十二支方角石や縛り地蔵、伊達藩が建造した日本最初の洋式軍艦「開成丸」の記念碑、砲台跡など、当時の繁栄を語り継ぐ風景や歴史が多く存在しています。
朴島
朴島(面積:0.15㎢ / 周囲:2.2km)は、浦戸諸島で一番小さい島ですが、浦戸諸島の中でも、特にミネラル豊富な漁場で、種牡蠣の生産地としても有名な島です。
松島白菜の種も生産しており、春に咲き乱れる菜の花畑は、海から見ると島一面に黄色い絨毯を敷いたように見え、とても美しい景色が楽しめます。
浦戸諸島の歴史
浦戸諸島には、縄文時代と推測される貝塚が多数発見されており、その頃から人が生活する島としての歴史が始まったと考えられています。
江戸時代には、伊達藩の江戸廻米の港(物流の拠点)として多くの人が行き来するようになり、繁栄を極めていました。
その後、幾度となく震災や災害と闘いながら、今なお海とともに暮らす浦戸諸島の歴史を振り返ります。