寒風沢島
寒風沢島(面積:1.45㎢ / 周囲:13.5km)は、浦戸諸島で一番大きな島です。
江戸時代には伊達藩の江戸廻米の港として、多くの人や船、物が行き交う島として繁栄を極め、今でも日和山の十二支方角石や縛り地蔵、伊達藩が建造した日本最初の洋式軍艦「開成丸」の記念碑、砲台跡、日本人で初めて世界一周をした津太夫など、当時の繁栄を語り継ぐ風景や歴史が多く存在しています。
また、島の奥に進むと、懐かしい田園の風景、さらに先に進めば、太平洋を独り占めできる美しく穏やかな砂浜に辿り着きます。
寒風沢島の見どころ
寒風沢漁港・渡船
江戸時代には伊達藩の江戸廻米の港として栄え、日本人で初めて世界一周をした津太夫・左平の出身地でもある寒風沢。現在ではのどかな漁村の風景が広がっています。
主な産業は漁業で、特に牡蠣は全国でも有数の産地で、秋になると生牡蠣の水揚げ・出荷が盛んになります。また、牡蠣の稚貝「種牡蠣」の産地でもあり、広島や岩手など全国の牡蠣の産地に送られ養殖されています。
漁港から対岸の野々島には橋は無く渡し舟で渡ります。渡り方はユニークで、通常、渡し舟は野々島側に係留されているため、渡る際には岸壁にある旗を揚げて、対岸にいる船頭さんに知らせ迎えに来てもらいます。
造艦の碑
漁港から海沿いに西へ進むと「造艦の碑」があります。藩政時代の寒風沢港は、千石船が発着する港として賑わっていたところで仙台藩にとって大切な港でした。
寒風沢造艦の碑は、この地で仙台藩の命により、三浦乾也が東北で初めて西洋型軍艦を建造したことを記念し、その門人たちにより建立されたものです。
この軍艦の建造にあたっては、藩領各地から良材を収集し、安政3年(1856年)に起工、同4年秋に全長33mの「開成丸」が完成しました。進水式には藩公慶邦や各藩の重役が多数参列し、その姿は目を見張るものだったそうです。
日和山展望台(しばり地蔵・十二支方角石)
寒風沢集落を見下ろす日和山は、かつて船出の際に日和見をした場所で、今でもその史跡が残されています。
「十二支方角石」は天保年間に建てられたものとされ、当時はこれをもとに天候観測や出入の船を見ていました。直径45cmの日本でも第1級の方角石で、かつての寒風沢の繁栄が偲ばれます。
方角石のすぐ近くに縄に縛られたお地蔵さまがあります。昔、寒風沢が栄えていたころ、島には遊郭があり、この遊女たちが男たちの船出を止めようと、お地蔵さまを荒縄で縛って、逆風祈願をしたと伝えられ「しばり地蔵」と呼ばれています。
砲台跡
日和山から南にハイキングコースの山道を進むと、太平洋を望める高台に着きます。
眼下には寒風沢海水浴場が一望できます。ここは、慶応3年(1867年)に仙台藩が寒風沢港を海防上最も重要な地点として砲台を建造した場所です。「加農砲」3門を据え、弾薬庫、見張所を備えました。また沖に見える船入島には沖砲台として鉄の大巨砲2門を置き、石浜崎に1門を据え、藩より大砲方士卒50人余りが、寺院松林庵に駐屯して警備にあたったそうです。
寒風沢神明社
砲台跡から海水浴場方面に進むと杉やタブの林に囲まれた「寒風沢神明社」があります。社殿は江戸時代中期の建造と言われ、千木・鰹木を載せた「流れ造り」としては珍しい様式を有しています。
歴史と格式のある、寒風沢の繁栄を見届けた神様がいらっしゃる神社で、天照皇太神と豊受皇太神が祀られています。
塩竈市指定の有形民俗文化財である、絵馬「鮭を運ぶアイヌ」や、数々の千石船の額もこの社に奉納されたものです。この他、境内には水神(ウンナンサマ)を祀る祠も見られます。
寒風沢海水浴場
神明社の森を抜けると、美しい砂浜の寒風沢海水浴場に辿り着きます。遠浅で波静かな砂浜は家族でのんびり過ごすのに最適です。
夏にはハマヒルガオやハマエンドウが見頃となります。
毎年7月中旬~8月中旬に営業、期間中は監視員が常駐、シャワー・トイレが設置されています。(最短で寒風沢桟橋から徒歩15分)
※現在は、震災の影響により営業休止しております。
元屋敷浜・要の浜
寒風沢海水浴場から田圃を通り東に進むと元屋敷浜があります。
この浜も穏やかで、対岸には宮戸島が望めます。島の緑と海と空の青が美しく映える場所です。
また、この近くの要の浜は、民話「古下駄のお化け」の地とされています。
田園地帯
寒風沢島の南部では稲作が行われています。
島民の高齢化などにより多くの水田はヨシやガマの原に覆われて少なくなりましたが、かつて多くの島民は半農半漁の経営により自給自足の生活が営まれていました。
河川が無い寒風沢の米作りは天水のみで行われ、秋には刈り取った稲を天日干しする懐かしい日本の稲作の風景が見られます。
最近では島興しとして寒風沢で酒米を作り、その米で地元の造り酒屋が日本酒を作る取り組みが行われています。
寒風沢の六地蔵
寒風沢集落のはずれの小道にたたずむ六地蔵は、仏教の六道信仰からきたもので、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道を示し、すべての生き物が生前の行ためによりこの六つの世界に行き着くという信仰があり、お地蔵さまは六道すべてに隔てなく慈悲を注ぎ、迷い苦しむ亡者を救済し、浄土に送り届けてくれると言われております。
浦戸諸島には野々島にもこのような六地蔵があります。
松林寺の化粧地蔵
寒風沢漁港から集落の路地を進むと松林寺があります。
ここには化粧地蔵と呼ばれるお地蔵さまがあります。作者や作られた年代とも不明ですが、古くからこのお地蔵様の顔に白粉を塗って祈願すると美しい子宝が授かると言われており、今日なお、何時も化粧が絶えないと言われています。
化粧地蔵がある、松林寺には、「延命地蔵」「坂本玄順の墓」「六地蔵」もあります。
寒風沢島にまつわる昔話・文化財
寒風沢島のことをもっと知りたい方は、下記ボタンより昔話や文化財の紹介を確認することができます。